三大和牛のひとつ、米沢牛
米沢牛といえば、松阪牛、神戸牛とならんで日本三大和牛と言われており、大変に有名です。
また松阪牛・神戸牛・近江牛とあわせて四大和牛とも言われます。
(松阪牛・神戸牛・近江牛で三大和牛と呼ばれる事も)
米沢牛とは
山形県米沢市を含む置賜(おきたま)地方3市5町で飼育された黒毛和牛で、一定の基準をみたしたものだけが米沢牛を名乗れます。
黒毛和種の牛で、去勢された雄牛またはまたは出産経験のない雌牛で、生後月齢32ヶ月以上、日本食肉格付協会の肉質の格付けが3等級以上であることが必要です。
歩留まりの格付けは関わらないようです。
また山形県の放射性物質全頭検査で放射性物質が不検出であることも条件にはいっています。
飼育環境
山形県における人気の特産物のひとつとして知られています。
置賜地方は高い山々に囲まれた盆地であり、夏は暑く冬は寒くなります。
また昼と夜の寒暖の差が大きいエリアです。
四季がはっきりとしたエリアで上質の脂質をもった米沢牛は育てられます。
米沢牛の品質
米沢牛は30か月以上という長い期間をかけてじっくりと育てられるものも多く、肉の赤身には脂身が浸透して旨みのある肉質となっています。
また飼料には稲わら、麦、米ぬか、ふすま、大豆、とうもろこしなどを使っています。
稲わらなどの乾燥した飼料を食べているので肉に臭みがつかないのです。
おいしさの秘密は脂質
米沢牛は霜降りが大変にきめ細かく、口のなかでとろけるような質感をもっています。
溶けだす温度の低い上質の脂質こそが米沢牛のおいしさの特徴です。
米沢牛の歴史
米沢牛が世に知られるようになったのは明治時代にさかのぼります。
米沢牛が有名になったきっかけ
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という言葉で有名な米沢藩の藩主であった上杉鷹山は興譲館という藩校をひらき学問を奨励しました。
さて明治4年、文明開化がすすむ日本にやってきた英国人・チャールズ・ヘンリー・ダラス氏は興譲館中学で英語教師として英語を教えていました。
ダラス氏が食用に米沢の牛肉を食べたところ、あまりのおいしさに驚き、その価値を見出したと言われています。
ダラス氏は教師としての任期がおわって米沢を離れるときに、牛1頭を横浜へ連れて帰ったというエピソードがあります。
友人たちにふるまったところ評判をよび、米沢牛が全国に知られるきっかけになったそうです。
明治30年代になると、横浜へ多くの米沢牛が出荷されるようになりました。
米沢牛の知名度はこうして高まったのです。
ちょっと面白いエピソードですね。
おすすめの食べかた
炭火を利用した香ばしい焼肉や、さっと焼いたステーキは味わいを堪能できるでしょう。
上質な脂質のとろけるような食感が楽しめるしゃぶしゃぶ、すき焼きなどもおすすめです。
参考サイト
■JA山形
■米沢牛銘柄推進協議会
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